もーすてぃ

20代女、音大ピアノ科大学院卒の1分間スピーチ

クラシック音楽界の歪さを感じる

お久しぶりです。いり伊です。

 

私は現在、ピアノ講師として働いています。

しかし、自分のピアノ練習状況はというと、

「何のためにピアノを弾いているのかがわからない」という状態になっています。なりつつあります。

 

この状況じゃ、生徒さんに「ピアノの楽しさを教える」ことはできないし、お教室を辞められちゃっても仕方ないな、と思う部分があります。

 

なんといっても、ピアノを練習する気力が湧きません。

講師演奏で披露できる程度には練習していますが、自主的な練習意欲はかなり衰えています。

 

私が考える大きな要因として「何をもってして、ピアノが上手いというのかがわからなくなった」というのがあります。

 

それは、私が現在特定の先生のレッスンを受けていないからというのもあります。

だから目標が見つからない。

 

でも実は先日、とある海外講習会に参加し、高名な先生のレッスンを数回に渡り受ける機会がありました。

そこで自身のピアノを全否定とまではいきませんが、結構ボロクソ言われまして。

 

「大学を出てピアノを教えてても私ってこんなレベルなのか」と思ってしまいました。

 

その先生は、ピアノに対して特定の「こうあるべき」という姿勢を持っていて(どんなピアニストもそうかとは思います)

私たち学習者をそのレベルに引き上げようとしてくれているのです。

 

ただ同時にそうなると、「こんなレベルの私がピアノ教えててもいいの?」とも思ってしまいます。

なるほど、音楽大学を出た後にさらに勉強するために海外に行く学生が多いのも頷けます。

 

ですが、海外に行った後、彼らはどうなるんでしょうか???

海外の音大を卒業した後、さらに別の海外の音大を卒業するような人もザラにいます。

「音楽の勉強は永久に続く」とも言います。「続けなきゃいけない」とも言います。

(私は一生ピアノを辞められないのかな…と感じ辛い気持ちになる時もあります)

 

高名ピアニストの芸術性と演奏技術は遥か彼方の雲の上で、その「真の音楽」に近づくために彼らは勉強し続けるのか。

それとも、ある程度勉強を重ねて、コンクールの優勝を目指し「ピアニスト」として食べていけるのを目指しているのか。

 

私は留学をしていないのでわかりませんが、皆どうしているんでしょう?

そこまで勉強していない私はピアノ講師をやっていて良いのでしょうか?

 

 

正直、「ピアノ」だけで食べていけている人なんてごく一握り以下です。

いかに高名な世界的ピアニストでもレッスン活動をしているケースが大半です。

でも日本では毎年多くのピアノ科音大生、卒業生が誕生します。

 

ここからは私の大きな偏見を含みます。

私は「1番でないと意味がない」というふうにピアノの先生に言われて育ちました。

これだけピアニストとして生きていけるのが一握りなら、日本一くらいのレベルでないと意味がないと。

 

そうなると、音大に入るとしても、

日本トップの藝大か、

桐朋学園東京音大などの私立音大の中でも

超トップ層に属していないと意味がないことになります。

 

「1番じゃないと意味がない」のに、

同じ大学に何人も自分より優れた学生がいて、さらに上のレベルの大学もあるとか論外ですからね。

 

私は、正直そこまでレベルの高い音大に進学していません。

そしてそこでの成績も、上には上がいるという状態。とても優秀というわけではありませんでした。

 

18〜22歳にして、自分が「箸にも棒にもかからない」ことがほぼ確定している状態でした。

絶望的です。

 

でも音大に進学したのは、小さい頃からピアノをやり、これまで莫大な時間とお金をかけたのと、音大で好きな音楽を勉強できる、という楽しみのためだった。

受験のためのピアノレッスンでは、ひたすらバッハ、ベートーヴェンモーツァルトショパンを弾いていて、私の好きな近現代は数えるほどしか弾かせてもらえませんでしたから。

 

そして私は音大を卒業して今に至ります。

ピアノ講師をしていますが、演奏活動と言えるほどのものはしていません。

 

周囲で、海外留学を薦める人もいます。もう私もアラサーなのですが。

私も、留学したいなという気持ちはあります。講習会で海外の広さを知りましたし、今までの自分は箱入りで育てられすぎたと思います。

 

でも、留学して、その後どうなるか?

上を目指して、大きなコンクールに挑戦して、一山当てて、それで音楽高校の先生のポストを狙えるようになるのか?

 

答えが不確実すぎます。

留学にも莫大なお金がかかります。

そこまでしてピアノで上を目指す覚悟があるか、と言われると、首を縦にふれません。

 

そうなると、「そもそも上って何よ?」という話になるのです。

ピアニストもいろんな方がいます。いろんなスタイルの弾き方があります。でも「その中でこの人だけが正しい!」なんてことは言えません。

 

私はピアノの技術力と、音楽の間の取り方、リズム感全般が足りていないのを自覚しています。

 

そうなると、私にとって上を目指すとは、

ショパンエチュード全曲をバリバリ完璧に弾けるようになり、あとマゼッパとかスカルボとかイスラメイとかも弾けるようになる(適当)ことでしょうか?

あとは…ソルフェージュをひたすらやればいいのかな?

 

でも私は、スカルボ弾けるようになりたいなとかは思いますが、そこまでして人生を賭けて全力で技術力を上げたいとは正直思っていません。

 

そうなると、闇雲に海外に行くよりも、国内でも技術力を上げることに定評のある先生を探してレッスンを受ける方が良いのでは?

 

まとめると、「演奏の向上」への意欲が薄れてしまいました。

それよりも、好きな曲を好きなだけ弾いている方が今の私には幸せかもしれませんね。

 

今って、少子化と不況で、音大生はどんどん減っているらしいですね。

バブルの頃は音大生ってすごく多かったみたいです。

卒業後は家事手伝い、結婚してピアノ教室を開くのが女性としてイイ!みたいな感じだったらしいです。

 

でも今は女性の社会進出が著しい時代。やりづらいですね。

 

音大生が減るのは、むしろ良いことじゃないかと私は思ってしまいます。

今までが多すぎたんです。

私の大学なんてマンモス校なので、選抜型の授業も成績が良くないと受けられないし、伴奏依頼も一部の学生に集中していたので(あと友達が少なかったので)、私は在学中、室内楽と伴奏の経験を全くと言って良いほどしませんでした。悲しすぎる!

 

でも、同時に「学問としての音楽」が栄えると良いなと思います。クラシック音楽が消滅する未来は嫌ですから。

 

私が将来自分の教え子をもし、音大に入れる時が来た時、レベルの高い音大よりも、「学問としての音楽」を深めてくれる音大、

そしてキャリア教育と社会においての音楽の位置をしっかり説明して、音楽の経験を少しでも社会に活かせる力をつけてくれるような音大をお勧めしたいなと思います。

 

やみくもに「上を目指す」のは、間違っている気がします。

 

かなり勢いで書いてしまった。

足りない頭なりにですが、音楽教育と音大のこれまでとこれからについて考え続けていきたいとは思います。

 

 

ゲームやアニメなどの物語に心乱されすぎる

つい先日、steamでRPG「omori」を購入しました


このゲーム、絵柄とあらすじがドンピシャ好みで

ずっと気になっていたのですが、

だからこそ一度始めてしまうと沼に陥りそうで手を出せずにいました


ですが最近仕事中心の生活に耐えかねて、ついに購入してしまったのでございます。


そうしたら想定の範囲内でしたが、やっぱり沼に陥ってしまったのでございます……


頭の中がゲームでいっぱいですよう……


今は推しのバジルくんがどうなるのかこれからどうなってくのか気になって仕方なくて

胸が押しつぶされる思いです(ネタバレしないでくださいね!)。



私って、社会人は自分がどういう状況になっても

顔色変えずに仕事をするものだと思っていました


なのに、私は社会人になってもゲームの続きが気になって

胸が押しつぶされながらぼけーーっと仕事をしている。


そんなんでいいのでしょうか。

大人って。



昔から私は何かアニメでもゲームでも、物語系に新しく手を出すのが苦手でした。

特に、性癖にドンピシャ系のコンテンツは新しく手を出すのに相当な勇気を必要としていました。


なぜなら続きが気になりすぎて、衝動性とLOVEと切なさと苦しさみたいなものが収まらなくなるからです。


(鬼滅見ていたときも辛かったなぁ。二期見てません)


はるか昔、音楽の授業でオペラ「カルメン」を見ていた時さえも

中途半端な場面で授業が終わり、「このまま来週の授業まで耐えられるのか……」と思っていました



世の中は鬼滅とか、呪術とか、東京リベンジャーズ(だっけ)とか

色んなコンテンツを反復横跳びしながら読む人が沢山いますが

彼らは心が強いんだろうなと思います


もちろん皆、続きが気になりすぎる中仕事をしたり学校に通ってきているのだと思います

そういった経験を幾度も積む中で、だんだん焦る気持ちと日常を送る気持ちのバランス感覚を養っていくのでしょうか……



私は、ゲームは基本牧場物語とかシミュレーション系をやっていて

RPGをプレイするのは本当に久しぶりです。

しかも向き合う相手は鬱ゲーと名高い。

これから……あああ…展開に耐えられるのでしょうか?

物語の展開に耐えながら仕事できるんでしょうか?


世の社会人の先輩。

こういう気持ちになりながらお仕事する時ありますか?

ねえ、どうして?日本のクリスマスはこんなにも早い

オペラの歌い出しみたいなタイトルになりましたが、これが社会人になった私が今一番感じていることです。


なんで日本は10月31日のハロウィンが終わったら 即 クリスマスになるのですか?


なんでどこもかしこもツリー🌲やらサンタさんやらIlluminationを飾り出すのですか?



私はこの風潮が嫌いです。

街行く中、あちらこちらに見えるツリーを見るたびにうんざりします。


なんでなんですか?

本気で理由が知りたいです。



ツリー🌲とか出しとけば消費者がお金出すんですかね?

商業施設の宣伝になるんですかね?

マスコミのネタができるんですかね?

結局お金儲けなのですかね?


私が小さい頃は、もっとクリスマスは特別なイベントだったと思うんですわ。

12月の寒い頃、たった1ヶ月足らずの輝きがあってこその特別なクリスマスなんじゃないですか?



それにTwitterでも見かけたんだけど、

無視された11月の気持ちになったことありますか?


11月は秋深まって魅力的な季節じゃないのですか?



「なにもイベントがない」けど秋深まる11月、

短くても輝きを放つ12月…


そんな儚さを愉しむ「侘び、寂び(WABI.SABI )」のココロを今の日本は忘れているのではないのか!?!?!?!?!?!?







現場からは以上です。

日記:いじめっ子はいじめられっ子に嫉妬している説

修論ですが、一応文章自体は結論を除いて書き終わっています。

残りのやることは、結論を書くことと、論文の内容の精査、文章のブラッシュアップという感じです。

 

大学院に入学する前、先輩に言われたことなのですが、

「提出前はドラマティックなことが起こるかもよ」と。

何しろ、修士論文の提出前は、色々な問題が起こってかなりハードだったようです。

 

でも、そのような実感は正直ありません。

むしろまったりしているくらいです。

大急ぎで修正しなければならないようなことも、多分ありません。

(先のことはわかりませんが)

 

修論提出前にパーッと遊ぶ気は流石にしないです。

まったりとしつつも、リラックスはできていない辛い状況です。

 

とは言え、先行研究と書籍を調べる幅が狭かったなと現在感じているので、

今やる意味があるかはあまりわかりませんが、

見逃していたような先行研究と書籍を探して一通り読もうと思っています。

内容が薄いような気がするので、盛り込めるところは盛り込み、それと口述試問に耐えられるような知識を身につけておきたいです。

 

 

 

楽しいことが全然ないので、すぎる さんの「ライフイズストレンジ」のゲーム実況を見ています。

アメリカの高校が舞台のゲームなのですが、あれですね。

アメリカの高校って、こんなにスクールカーストが露骨なものなんですかね。

 

「ボルテックスクラブ」という名の「私たち1軍ですよクラブ」が存在していて、そのクラブが地味な生徒たちをあからさまにいじめています。

日本のスクールカーストが生温く思えてきます。

日本では、「1軍」は存在していてもどこか暗黙の了解のような扱いをされているのに、

アメリカときたられっきとした「1軍クラブ」が存在しています。

どんな入部条件なんだ。そして活動内容は一体何なんだ。

 

 

ところで、「人の悪口を言うのは、その人に嫉妬しているから」という言説を時々見かけることがあります。

お金持ちの美人を、「あいつはビッチだ」などわざと言ってしまう現象です。

私はその言説は、大体正しいと思っています。

悪口の対象が何かしらのコンプレックスを刺激しているからこそ、悪口を言ってしまうのだと思います。

 

 

ですが、学校でよくある「1軍が3軍の悪口を言う現象」はどうして起こってるんでしょう?

1軍が3軍に嫉妬する要素はあるのでしょうか?

 

 

私は、1軍が3軍に嫉妬することは十分有り得ると思ってます。

1軍だってきっと楽ではないのです。常にキラキラしていなければならない。自分を見せつけなくてはいけない。

恋愛や人間関係のいざこざ。

弱みを見せると1軍から下ろされてしまうかもしれない恐怖も、不健全な集団ならあるかもしれません。

 

そこで、無闇にキラキラする必要のない、自由な存在である「3軍」を羨ましく思っても何もおかしくないのではないでしょうか。

3軍が、1軍になりたくてもなれないように

1軍も、3軍の人生を体験することはできないのです。

 

 

こう考えると、1軍がカッコ良くて3軍がカッコ悪い、とか

1軍になることが善で3軍になってしまうと悪、みたいに思わなくて良いような気がしますね。

 

学校の図書館に行きたくても冬休みで閉まってるというね。

おやすみなさい。

 

日記:修士論文提出間際で思うこと

修士論文が、そろそろ大詰めです。

提出まで約一ヶ月。

 

はっきり言って、11月ごろ、修士論文はもうほとんど完成していると勘違いしていました。

なぜなら、書かなければいけない文章がほぼ埋まっているからです。

当初作った章立ての、全ての節が埋まっていて

一見完成しているように見えるからです。

 

しかし、今の自分が、

 

「完成していると思ったら、してなかった!」

「完成していると思ったら、してなかった!」

「完成していると思ったら、してなかった!」

の無限ループに入ってそうで怖いのです。

 

 

まず、先輩方の過去の修士論文を念のため見てわかったのですが、

体裁がまじで整ってません。

 

ページ数すらない、脚注がない。

 

あと、論文中に使われている()括弧が

全角なのか半角なのか分からなくて怖い。

 

 

そして、コロナを理由にするつもりはありませんが、

歴代の修士論文と比べて内容が薄い気がしてなりません。

 

これに関しては、私が謙虚なだけ!っていうのを祈ります。

祈ってちゃ始まらないので、残り一ヶ月、少しでも内容を精査したいと思います。

 

 

そうやって考えていると

「私はちゃんと先行研究が読めているんだろうか…」

「先行研究、他にもっとマシ取り上げるのにふさわしいものがあるのではないか…」

「なんかこの論文、全体的にずっと同じこと言ってないか…?」

「論理的に矛盾しているところや、日本語的におかしいところがあるのでは?」

 

と、どんどん確認しなきゃならないことが増えていくのです。

 

 

 

なんだか全体的に、文章を適当に書きすぎた気がしてなりません。

 

 

よく言われる言葉「何もやってないと始まらないから、とりあえずなんでもいいから何か書こう!」

 

 

自分の論文が、その「なんでもいいから何か書いといた」の寄せ集めにしか思えないです。

もしかしなくても、内容的にかなり薄くてお粗末なのでは?

 

今の段階で、ハッキリと至らなかったところがわかってるし(調査方法が間違っているというか、物足りない面がかなり大きい)。

もう時間は取り戻せないので、提出期限になるまで最低限「それっぽく」仕上げようと思うのみです。

 

 

時間がいくらあっても足りないかもしれない、

でももう早く提出して解放されたい、

っていう気持ちに挟まれてます。

 

 

つらいね。

これを乗り越えなきゃ大人になれないんだね。

おやすみなさい。

 

 

日記:大人からでもショパンエチュードが弾けるようになりますか?

音大での話を書きます。

 

今日、レッスン室のある通りを歩いていたら、

附属高校生がピアノのレッスンを受けている様子が小窓から見えました。

 

というより、聴こえました。

 

 

バリバリバリ!!!という表現がまさに相応しいような

ショパンエチュードop10-1が…

 

 

そして、その隣のレッスン室からは

これまたバリバリバリバリのショパン木枯しが…

 

 

ミスタッチすら無いような完璧に近いテクニックで、

物凄い迫力で、

下越しなのになんだか圧倒されて立ち止まって聴き入ってしまいました。

 

 

私はピアノを専攻しており、音大大学院をもうすぐ卒業する身ですが、

全くもってこのような超絶技巧を身につけているタイプではありません。

 

ハノン、ツェルニーなどの練習曲はたくさんやってきましたが、

技術を身につけるための地道な部分練習をぜんぜん真面目にできず、

また私自身も器用で敏捷なタイプではなく…

 

いつしか、超絶技巧系の曲を選ぶのをパタリと辞めました。

ショパンエチュードのうち、エオリアンハープのような簡単目な曲をいくつか取り組んだ程度。

正直、音大生がごく普通に選ぶような曲にさえテクニック的に苦戦しています。

ショパンのバラードの後半に出てくる「和音が含まれてるアルペジオ」がめちゃくちゃ苦手で、ミスタッチなしできちんと弾けないです。

 

 

それで「簡単には音楽表現できないようなしっとり系の曲」ばかりを選んで弾いてきました。

ブラームスの小品のような曲がメインですね。

 

 

私は音楽表現の方を極めるんだ!とか勝手に驕り高ぶってましたが、

酸っぱい葡萄でした。

技巧的な曲が苦手だったから逃げていただけだと思います。

 

 

私はショパンエチュードのop10-1は、二年前にチャレンジしようとして、

あ、これ無理だとなって挫折しています。

 

それなのに、高校生がその曲をミスタッチもなく完璧に弾いているのを見て、

正直「自分の音大生活ってなんだったんだろう」と考えてしまいます。

 

 

 

でも聴こえてきたop.10-1と木枯らしは圧巻でした。格好良かった。

感銘を受けたので、音大を卒業して、まずピアノにおいての目標にしたいことは

「演奏技術を補強すること」に決めました。

 

逃げていた難しい曲にチャレンジしてみようと。

 

 

 

そこで、久しぶりにショパンエチュードop.10-1を練習していたのですが、

この曲、弾いていて気持ちが良いのです。

 

ハ長調の明快な響きのアルペジオと、左手のオクターブ…

大音量を出して響かせると、推進力とエネルギッシュな響きが部屋中に広がっていって

どんどん「ノッて」来るのを感じます。

 

ですがこの曲、腕が疲れすぎて最後まで弾けないんですよね、そもそも。

今までずっと、「レッスンが近いのに腕が疲れるせいで最後まで弾くことすらできない」という状況が最大の恐怖でした。

 

 

しかし、私はもう大学を(多分)卒業するので、

ここしばらく練習曲のようなテクニック的に難しい曲をレッスンで見てもらう機会はないと思います。

 

そう考えると、ものすごく気楽です。

「いつまでに仕上げなきゃならない」というプレッシャーが無いから。

 

純粋に、自分のために曲を選んで弾くことができるのです。

「腕が疲れて最後まで弾けない」という状況すら楽しめるような気がしてきました。「今日はどこまでちゃんと弾けるかな?」って。

 

 

大人になってからテクニックを身につけることは難しい、20歳までにテクニックを身につけるべきだ、

という話はピアノ界でたまに聞かれますが、

 

私のように、大人になってからでもショパンエチュードをテクニック的にちゃんと弾けるようになりたいです。

 

最近音楽教室でたまに教えている大人の生徒さんと全く同じことを言っている。

大人になってから何かを始めることは、決して遅く無いはずです…。

 

 

いり伊

 

おやつを食べようかひたすら迷って結局食べなかった話(自己紹介)

初めて投稿します、いり伊と申します。

20代前半音大生女です。

以前、ライブドアブログで「意識低い系音大生の生湯葉系日記」というブログを書いていました。湯葉が好きです。

 

改まった自己紹介はせず、今日なんとなく感じたことを書きます。

 

最近、何かを決断するのにやたら時間がかかるようになったなぁと思います。

 

具体的に言うと、今日は大学があったのですが、

お昼ご飯が食欲がなさすぎて食べられず、夕方18時くらいにめちゃくちゃお腹が空いていました。

家での夕食の時間は20時です。夕飯前になってしまいますが、それ以上にお腹が空いていました。

 

月曜日は一週間の中で、最もハードです。

授業は2限から5限まであり、45分間発表をしないといけないという精神的にハードな授業もあり、そして個人レッスンもあり、

更にオンライン授業と対面授業が混ざっていました。

 

そんな疲れた自分へのご褒美に、

帰りはスタバに寄ってチョコレートチャンクスコーンを食べよう!と思いました。

身体がとにかく糖分を欲している気分だったのです。

 

途中下車をすればスタバがあります。

そして、私は最近知り合いの方から10000円分チャージされたスタバカードをいただいているので、実質タダでスタバでお茶をすることができます。

 

 

 

宣言通りに私は途中下車をしました。

そこで、まずスタバに行く前にお手洗いに寄りました。

 

お手洗いの個室で私は思いました「なんかほんと疲れたな・・・」

 

2限から5限まであってやたら疲れているし、

コンビニで安いお菓子を買って家に帰った方が良いのではないかという気がしてきました。

 

しかも私はダイエット中です。

あすけん日記というアプリを使って毎日の摂取カロリーを記録しています。

今日あと摂取できるカロリーは800カロリーくらいです。そこで、300カロリーはあるであろうチョコレートチャンクスコーンが入ってきたら、夕飯を500カロリーに抑えることが非常にシビアになります。

 

 

私は途中下車したにも関わらず、スタバに寄らず再び電車に乗りました。

そこで、当初の計画を変更し、

「コンビニでチョコレートクッキーを買って家で食べよう!」ということにしました(とりあえずチョコレートが食べたかったんです)。

 

 

家の最寄り駅に着きました。

早速駅前のコンビニに入ります。

スイーツ類を物色します(チョコレートクッキーじゃないんかい)。

いけないとは思いつつも、チラッとスイーツの包装をひっくり返し、カロリーを確認します。

思っていた以上にどれもこれも300カロリーくらいは行くことを確認。

 

今食べたいと思っていた、チョコレートのちょっとジャンクなスイーツはどれもカロリーがかなり高い。

かといって、「ライザップ特製うんちゃら」を食べたいとは全然思わない。

「そこそこジャンクだけど、カロリーがそこまででもない」というワガママな私の要望を叶えるスイーツはなかなか無いのだとわかりました。

 

私の頭に浮かんだことはこれです。

「今家に帰ったら19時。

夕飯までの1時間は、あつ森でもしていれば気が紛れるだろう

 

 

そんなこんなで、疲れた自分へのご褒美にスタバを!糖分を欲した体にちょっと贅沢なおやつを!と決めたにも関わらず、

 

おやつどころか飲み物一つ買わずに家に帰り、今このブログを書いています。

 

切ないですね。

 

あつ森をするのではなく、ブログを書くという行動になりましたが、

この空いた時間がないとはてなブログをおそらく始めていなかったと思うので、

それはちょっとしたラッキーですね。

結局余計なカロリーを摂取することもなかったですしね。

 

私は来年度から就職をするのですが、社会に出るのが近くにつれ、

日常の様々な選択が慎重になってきたなと感じています。

 

その慎重さは、近い将来社会に出ることを意識していること、

そこで課されるであろう責任から来ているのではないかと思います。

何でもかんでも思いつきで行動してしまっていたら、きっといつか重大な失敗を犯すと思いますし。

 

つまり、私は少しずつ頭が社会人向けになってきているのです・・・

きっと。

 

 

 

このようにある意味ポジティブにものを考えつつ

日々思ったことや音大、音楽のことをブログに書いていきたいと思います。

 

よろしくお願いいたします。